PODCASTのチャンネルのひとつ、「癒しの音楽チャンネル」の公式ブログがありました。
(知らなかった…)
番組の内容や、パーソナリティーをつとめる、奥津恵さんの公式ブログへのリンクもあります。
http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/iyashichannnel/
PODCASTの番組数を増やしました。
クラシックばかりではなく、ジャズやポップスなどもあります。
結構音質もよくて、私も空き時間に楽しんでいます♪
この「PODCAST」記事カテゴリでは、引き続きPODCASTにて現在流れている曲(どうしてもクラシックが多くなりますが)について書いていきます。
ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1817)は言わずと知れたドイツの作曲家。
音楽史上、「楽聖」と呼ばれています。
こんな一般的な言葉では語れないほど偉大な作曲家です。
強いて言うならば、「音楽とはベートーヴェンである」と言っても差し支えないくらいの人物のうちの、数少ない一人であると言えるでしょう。
「音楽を勉強する=ベートーヴェンを勉強する」ことになります(なってます)から。
…
第6交響曲は「田園」という題名(ベートーヴェン自身がつけたものではない)からもわかるとおり、各楽章に具体的な標題のついた音楽です。
第1楽章 田舎に到着したときの晴れやかな気分
第2楽章 小川のほとりの情景
第3楽章 農民たちの楽しい集い
第4楽章 雷雨、嵐
第5楽章 牧人の歌−嵐の後の喜ばしく感謝に満ちた気分
ベートーヴェンにはめずらしい標題音楽にして、5楽章形式の交響曲です。
聴覚を失ったベートーヴェンが、第5交響曲(「運命」)と時を同じくして作曲、初演も同時に行った作品です。
ベートーヴェンといえば、第5交響曲を通じて自身の不幸を打ち勝ち、不屈の闘志を持って音楽史に不滅の金字塔を打ち立てた…そういうイメージが強いと思いますが、私はこの第6交響曲がほぼ同時に創作されたという点に注目します。
ベートーヴェンは自然をこよなく愛しました。
休日には、よく田舎へ向かい、自然の中で過ごすのが大好きだったそうです。
音楽家として一番大事な聴覚を失ったベートーヴェンは、遺書を書き、自殺を試みます。
しかし、自らの使命感から生き抜くことを選択し、第5交響曲を創作します。
ですが、同時に、ベートーヴェンも人間です。
自分に負けそうになるとき、運命になぎ倒されそうになるとき、ベートーヴェンは同時に自らの愛した自然にかえるため、そこで自らを癒すために、同時に第6交響曲を書き進めた…言ってみれば第6交響曲がなければ第5交響曲も、ベートーヴェンのその後の人生や作品もなかったのでは?!
…
これはあくまでも私の予想です。
ちなみに初演はウィーンのアン・デア・ウィーン劇場にて行われました。
久しぶりのコンサートで再起をはかろうと、第5、6交響曲にピアノコンチェルト、さらには歌曲に、他の作曲家の曲まで、盛りだくさんのプログラムでした。
指揮は作曲者自身が行いました。
ところが、耳の聞こえない上に興奮したベートーヴェンの指揮に楽団が合わせられず、挙句の果てにはピアノの上に置いてあった燭台にぶつかり、カーテンに火が燃え移り、コンサートが一時中断するなど散々で、大失敗に終わったそうです。
「休日にクラシックを」という時に、これほどベストな曲はない! と断言いたします。
聴くからには名演をお楽しみください。

リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家です。
代表作は一連の交響詩、「ドン・ファン」、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」、「英雄の生涯」、「ツァラトゥストラはかく語りき」などが有名です。
他にも「アルプス交響曲」やオペラ「エレクトラ」、「サロメ」、「薔薇の騎士」なども有名です。
歌曲では「4つの最後の歌」が特に名高い作品です。
彼は名著「管弦楽法」の出版でもわかるように管弦楽法に大変優れ、また前衛的な手法を数多く用い、当時の音楽に多くの影響と衝撃を与えました。
指揮者としても有名な彼の指揮姿を、アート・オブ・コンダクティングで映像として見ることができます。
といっても晩年の彼の指揮は誇張が一切なく、というよりは、無表情に、ただただ右手でテンポをとっているだけにしか見えません…。
弟子であるカール・べームやジョージ・セルによれば彼は指揮について「右手で拍子をとるのは外面的な事で、楽員が自らの場所を見失わないようにする為である。その他は全て精神的なものから来る。指揮者の表情は曲の抒情的な部分や劇的な部分で変化すべきであるし、作品に現われる愛や憎悪を共に体験しなければならないのだ」と語ったといいます。
こうは言っておりますが反面、シュトラウスはカード遊びを好んでいたらしく、指揮中に懐中時計を見たところ、カードゲームの時間が迫っていることを知り、このままでは間に合わないとばかりにテンポを猛烈に速めだした、というエピソードがあります(弟子であったセルの言葉ですから、ほぼ間違いはないと思います)。
しかし、偉大なる作曲家としての貫禄からか、当時の団員たちは演奏中にシュトラウスに見られると冷や汗をかき、(今しくじったかな…)と恐れられていたそうです。
現在PODCASTにて流れている交響詩《死と変容》は別名《死と浄化》と呼ばれ、シュトラウスの3作目の交響詩にあたります。
内容は「エレクトラ」などと同様、陰鬱なもので、どこかで読んだ本の言葉を借りると、「血のにおいがする作品」となっています。
以下、Wikipediaよりの抜粋です。
ゆるやかなラルゴで開始される。弱音器をつけた弦による序奏が暗い病室に横たわる瀕死の病人を描き出す。ティンパニの弱奏が病人の心臓の鼓動を表す。つづいて木管の明るいメロディーが表れ、独奏ヴァイオリンも加わって病人の幸せだった日々が回想される。突如、ティンパニの一撃でテンポがアレグロ・モルト・エ・アジタートに変わり、生と死の壮絶な戦いが始まる。襲い来る死の恐怖が低弦で、病人の生きようとする強い意志がヴァイオリンの激しいメロディーで表現される。生と死の戦いが最高潮に達したところで、いったんテンポが緩やかになる。序奏部でも表れた回想のテーマで、再び病人の幼少の日々、青春の日々が回想される。その折にも死のテーマが回帰し、生と死の戦いが続く。その最中に突如として新しいテーマが金管の強奏で表れるが、これが変容(浄化)のテーマで、死による変容が暗示される。やがてテンポが緩やかになり序奏のテーマが戻ってくる。そして生と死の最後の戦いが始まるが、タムタムの弱音で病人が命を終えたことが表される。変容のテーマが静かに表れ、次第に音量を増して病人が来世で変容を遂げたことが表され、曲が終わる。
ちなみに私も間違えていましたが、ワルツ王のヨハン・シュトラウスとは、ただ苗字が一緒なだけのまったくの他人で、何の関係もありません。





